『御当代記(ごとうだいき)』(花月文庫・歴史・163)


戸田茂睡(とだもすい)著 全6冊 本人自筆本
延宝8(1680)年5月から元禄15(1702)年4月までの編年体の記録。
 徳川綱吉の五代将軍襲職に筆をおこし、幕府政治の動向、諸役人の賞罰・主要な法度、さらに江戸市中の風俗から天変地異など茂睡の見聞した事件や風評が詳細に記されている。とりわけ幕府の公式記録にはみられない綱吉政治への人々の不満の声などは同時代史料として大変興味深い。
 戸田茂睡は、寛永6(1629)年父渡辺監物忠の子として駿府城内に生まれる。母は高家の大沢基宿の娘。
 父忠は徳川忠長の重臣であったが、忠長乱行の責めをとわれ、下野国黒羽の領主大関家に預けられた。茂睡も父に伴い蟄居生活を余儀なくされた。のちに伯父戸田政次の養子となったともいわれ、名を戸田恭光と改める。赦免後、江戸に出て本多家に仕えるが、晩年は出家し和歌を主とする隠者生活をおくる。著書に『百人一首雑談』『梨本集』『紫の一本』等がある。宝永3(1706)年4月、78才で世を去った。
 本書は、ほかの書物と共に信州北相木に移住した茂睡の息子元周によって秘蔵されていた。その後、北相木村の菊池家、隣村の黒沢家を経て大正元年9月ごろ飯島保作(花月)の蔵書となった。そして、本書は大正2年、佐佐木信綱によってはじめて世に紹介されることになった。佐佐木は、『戸田茂睡論』の中で「(中略)飯島保作氏の蔵せらるヽよしを聞き、之を借り得て、本書に於いて之を紹介し得た事は、また吾人の更に喜びとする所で有る。」と述べ、『御当代記』を「かつて世に知られなかった著」として世に紹介している。大正4年には『戸田茂睡全集』が国書刊行会から出版され、その中で花月の翻刻による本書の全文が紹介された。この『戸田茂睡全集』も刊行後八十余年が過ぎ入手困難な状態が続いていたが、平成10年平凡社の東洋文庫から塚本学先生の校注により本書が独立した書籍として出版され再び蘇ったのは、大きな喜びとするところである。